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伏見の御香宮神社!!極彩色の彫刻・絵が凄いです・・・

参道に向かう神社の入口には、どっしりとした伏見城の“大手門”がむかえてくれます。豪壮な門構えに加えて、屋根裏には、見落としがちな4枚の力強い「蟇股」があります。中国に伝わる後世の範として“孝行“が特に優れた「中国・二十四孝」のうち、①楊香、

②敦巨、③唐夫人、④孟宗の4人が彫られています。二十四孝の蟇股を見ていると、伏見城を築城した母親思いの秀吉を偲ぶことができます。

 

 

参道を進んでいくと、京都府指定文化財の割拝殿があります。伏見城の「車寄せ」を移した説と、伏見城の鬼門の位置にあった「古御香宮」の社殿を移した説などがあります。正面の軒唐破風は、「鯉の滝のぼり」や「琴高仙人」など、手の込んだ色鮮やかな彫刻が目を引きます。18枚の蟇股も、虎や鷹、想像上の動物など、カラフルな桃山建築の装飾が楽しめます。

本殿の正面は、鳥が伸びやかに翼を広げ、虎がぎょろりとにらむ絵、背面の大きな板壁には、極彩色の柳と梅が描かれています。

また、名前の由来となった香りの良い水が湧き出ている「御香水」や、鳥羽伏見の戦いの戦跡を表す「石碑」などがあります。

毎年10月1日~10日までの「神幸祭」は、伏見9郷の総鎮守の祭で、「伏見祭」とも「花傘祭」と呼ばれています。                          レポート:T 渡邊

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世界遺産:龍谷山『本願寺』の太鼓楼!

 西本願寺(通称)といえば、国宝の阿弥陀堂、御影堂(ごえいどう)、書院や能舞台、特別名勝のお庭に飛雲閣、更に多くの重要文化財をもつ世界文化遺産であることは、ご存じのことでしょう。数多くの国宝や重要文化財の指定のある建物の中で、外部からも見えるが、気づかれにくい建物=それが「太鼓楼」(重要文化財)です。1950年代まで人々に時を知らせるため「ドンドンドーーーン」と打ち鳴らされていたそうですが、時代とともにその必要性も低下、やがて長い眠りにつきました。ところがこの太鼓楼は、実は貴重な歴史的施設である事をご存じでしょうか?

今年は明治150年ですが、あの幕末期太鼓楼に「新選組」が屯所として滞在した歴史があるのです。もう一つの「北集会所」は、今はなく太鼓楼は本願寺に残る新選組の史跡として唯一の建物です。彼らは境内で実弾射撃をしたり大砲を撃ったりで、僧侶や門信徒を恐れさせ嫌がられていました。その為本願寺は出て行ってもらう為、色々な苦労をしたようです。現在太鼓楼の内部は、非公開のため拝見できません。しかしここにあの新選組の若者達が寝起きしていたと思うとなにやら不思議なものを感じます。

話は変わりますが、本願寺では「お西さんを知ろう」と言ってお坊さん自ら無料で、案内してくれます。1日4回(午前2回、午後2回)、総合案内所からスタートして約30分説明されます。お坊さんの得意な分野など聞けば、色々教えて頂けます。一般の方が僧侶と親しく仏教の話から悩み?まで話せるいい機会かも知れません。ちなみに私は1時間もお付き合い頂きました(暇だったのかな?)。

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西郷(せご)どんにも逢った?幕末の女性勤皇家!!

  嵐山大井川沿いの階段を登ると亀山公園です。公園内には、亀山天皇、後嵯峨天皇、後伏見天皇の火葬塚があり、百人一首の歌碑も多く点在しています。この亀山公園は天龍寺にも縁の深い亀山天皇に因んで名づけられています。

その近くに、ひっそりとではありますが堂々とした風格の女性の像があります。幕末の勤皇家で津崎村岡局・本名・津崎矩子(のりこ)の像です。

津崎矩子は、この嵯峨野に生まれ、後に公家であった近衛忠熙(ただひろ)に仕え、老女となり村岡局の名を頂きます。

幕末の政局があわただしくなると、近衛忠熙は、尊王譲位派の公家として頭角を現します。村岡局は、僧月照など志士らとの親交を持ち、公家と志士との連絡係として、特に、近衛卿や西郷隆盛らの運動を助けました。近衛忠熙はNHK大河ドラマにも登場していますね。篤姫は近衛家の養女となり徳川家に嫁ぐさい、村岡局は養母として同行します。しかし、安政5年(1858)井伊直弼のよる、安政の大獄により、近衛忠熙は失脚、村岡局は京都奉行所の厳しい取調べの後、江戸に送られますが、「永の慎」に処せられ嵯峨野の帰されます。

大覚寺北にあります荒れ果てた山寺、『直指庵』を浄土宗の寺として復興し隠居。そこで近辺の子女教育に尽くし維新後は賞典禄20石をうけたまわっています。明治6年(1873)88歳で没しました。直指庵は、<直指人心>の禅語から名づけられ、正直に向かい合う という意味が含まれているそうです。  

レポート 藤田

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京都の七月は祇園祭の一ケ月間!

京都の夏といえば祇園祭ですね!祇園祭は八坂神社の祭礼で、千年以上の歴史があります。祭は、八坂神社の神事「神輿渡御(みこしとぎょ)」と山鉾町の祭事「山鉾巡行」から成り、71日の各山鉾町の吉符入(きっぷいり)から、731日の八坂神社境内の疫(えき)神社の夏越祭(なごしさい)まで、7月の一ケ月間、毎日のように神事や行事が行われます。

特に、717日の前祭(さきまつり)と724日の後祭(あとまつり)の山鉾巡行が祭のクライマックスといわれますが、神事的には、神輿が八坂神社から出て氏子区域を回る神幸祭と、7日間御旅所に安置された神輿が、再び氏子区域を回って八坂神社へ戻る還幸祭があり、山鉾巡行は、それぞれの神輿渡御の前に山鉾町の町衆が行う行事です。山鉾巡行の前日(3日間)にはそれぞれ宵山があり、夕方には各山鉾の駒形提灯に灯がともり、祇園囃子が奏でられます。

宵山、山鉾巡行ともに大変な人出ですが、おすすめは宵山期間中昼間の町会所めぐり。昼間は比較的ゆっくり回れるので、暑さ対策をしてそれぞれ山鉾町の会所でお飾りを拝見しましょう。

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旧三井家下鴨別邸(重要文化財)は見学されましたか?

 下鴨神社(京都市左京区)の南に、近代京都の名建築、旧三井家の下鴨別邸があります。平成28年秋に一般公開が始まり2年近く・・・まだ行きそびれている方は、是非一度見学されたら・・・と思います。主屋、玄関棟、茶室にお庭とみる処が多くあります。茶室は江戸末期の建築、主屋は明治時代の簡素な数寄屋建築、玄関棟は大正時代の建物(書院造りながら洋風設備)、庭園は茶道の薮内竹翠と節庵の指導で築かれました。主屋は3階に望楼が設けられ、鴨川や東山の眺望を楽しめます(通常3階は非公開)。この別邸は時代によって異なる建物によって構成され、各時代の特徴を発見するという楽しみもあります。特に細部に目を凝らして見られることをお勧めします。また茶室は日常非公開ですが、貸室サービスの対象となり、2階の座敷(非公開)も貸室対象でともに茶会、茶話会、食事会(仕出し)などに利用可能です。同窓会、研修会などにも利用できます。交通の便も良い上に、会の前後に『糺の森』を散策できるのも大きな魅力でしょうか。    https://www.kyokanko.or.jp/mitsuike/

 

 

 

 

 

 

 

 

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<歴史と伝説の宝庫「知恩院」へのいざない!>

 

今から凡そ800年前に浄土宗宗祖・法然上人によって創建された知恩院の現在の諸堂(国宝・三門や国宝・御影堂ほか)は江戸時代初期に徳川将軍家の庇護のもと造営されました。徳川家が知恩院を重要視したのは二条城とともに京都における拠点とし、市内監視や朝廷牽制のためなど政治的背景がありました。その面影として建物のいたるところで徳川家の家紋『三つ葉葵』がみられます。広大な境内や周辺には観光客を楽しませるスポットが多々ありますが、その一部を御紹介致します。

  1. ①知恩院の七不思議(忘れ傘、鴬張りの廊下、瓜生石ほか)
  2. ②男坂(急坂は城郭機能の名残り、映画「ラストサムライ」の撮影場所)
  3. ③大鐘楼(NHK「除夜の鐘」、日本三大鐘楼、アインシュタイン博士実験、ほか)
  4. ④千姫の墓(徳川家康の孫)
  5. ⑤法然上人ご廟(参拝時に木魚叩き体験可)

※知恩院は清水寺や金閣寺などのメガ観光寺院とは違い、名前は良く知られている割には境内が観光客で余り混雑していません。ひと味違ったこの名刹をごゆっくり参拝されては如何でしょうか。  レポート 島添        

境内の一角                        千姫の墓碑

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御寺-みてら-泉涌寺 (真言宗泉涌寺派大本山)

13世紀初め(790余年前)清泉の湧いたところから「泉涌寺」と名づけられる。開山は俊芿(しゅんじょう)律師。戒律を基本とし天台、真言、禅、浄土の四宗を兼学する寺院として信仰を集めた。

1242年四条天皇の葬儀と月輪陵が、寺内に営まれて以来天皇家と縁が深く、室町前期(1374年)から歴代天皇・皇妃の御火葬所や墓所(御陵)となり、皇室の菩提寺(香華院)として特別な存在の寺になり御寺・みてらと呼ぶ。特に江戸時代の「後水尾天皇」から「孝明天皇」まで14代の歴代天皇の葬儀が行われ、ここに埋葬された。

明治維新まで600年に及ぶ天皇家との強い絆は、御寺にとって最大の誇りであり別段の風格をもち、現在も皇室の尊崇篤く、毎年皇室の方々が参拝されている。

御寺の長い歴史の中で応仁の乱などで焼失、荒廃をした。その後何度も再興され、なかでも徳川家綱(4代)の全面的支援は仏殿(重文)画像、水屋形(重文)として現在に残る。大門(重文)は、慶長期の内裏の門を移築したもの。その他多くの見どころありますが、「御陵遥拝所」(画像)もご参拝されるといいでしょう。毎年3月14~16日には日本最大の涅槃図(高さ15.1m、幅7.3m)が公開されます。9つの塔頭(即成院・今熊野観音寺など)もそれぞれ特徴ある良い寺院ですから時間のある時はこちらを訪ねるのもいいでしょう(非公開もあり)。

写真は仏殿の軒下

 

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東山七条の「総本山智積院(ちしゃくいん)」はいかがですか!

国宝の障壁画

桃山時代に全盛期であった狩野派に対抗して、独自の画風を確立した長谷川等伯。その一派によって描かれた。日本の障壁画を代表するものとして、楓図、桜図、等々が有り、桜図は長男、久蔵が25歳の時に描いた作品で、楓図に於いては、等伯が久蔵に対する哀惜の情を振り切り、自己の生命力を画面一杯傾けて描き出されています。

智積院は真言宗智山派の総本山として、現在約三千の末寺を擁する。その中には、初詣で有名な成田山新勝寺、川崎大師、ハイキングで有名な高尾山薬王院、等々あり、檀信徒は約30万人。

真言宗は、弘法大師空海上人により開宗されましたが平安末期になると宗勢は衰微してしまいます。その時、鳥羽上皇の信任を得た興教大師覚鑁(かくばん)上人(しょうにん)が高野山に登り真言教学を再興しました。晩年覚鑁が移り住んだ「紀州・根来寺」で真言教学を学ぶ学問所として隆盛しましたが、豊臣秀吉に全山を焼き払われた。その後、秀吉が愛児、鶴松の菩提を弔う為に建立した「祥雲禅寺」を家康は智積院・住職に寄進し、現在に至ります。

 

 

 

 

 

 

 

名勝庭園

利休好みの庭と伝えられ中国の廬山(ろざん)模って(かたどって)います。秀吉の祥雲禅寺時代に造られた石橋より奥は自然石のみを用いて、深山の中にいるような奥行のある勇壮さを感じさせてくれます。特に、ツツジ・サツキの咲く頃が一段と艶やかさを増します。

 

 

 

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京都・大原野(洛西)の古社・古刹の桜もすごい

大原野神社は、784年(延暦3年)に桓武天皇が奈良から長岡京遷都された時に、藤原氏の氏神として、奈良にある春日大社の祭神を分霊した神社です。

この神社には「千眼桜」と呼ばれる枝垂れ桜があり、大変有名です。満開時には立派な姿を見せますが、開花から3日程で散るので「幻の桜」としてもよく知られています。

「千眼桜」は、1本の枝にぼんぼりのような花が咲きます。その姿は眼がたくさんあるように見えるので「千眼桜」と呼ばれるようになったようです。

樹齢70年を超える「千眼桜」は、ソメイヨシノよりも開花が遅く毎年4月10日前後でしたが、今年はなんと4月2日が満開でした。来年こそ満開の桜に出会い「千の願い」を叶えて、幸運を授かりましょう。「千眼桜」の近くにある鯉沢の池のそばの「春日乃茶屋」は、よもぎ団子、蕎麦も美味です。また正法寺、勝持寺(花の寺)、願徳寺周辺のソメイヨシノも素晴らしいですよ。       2018年4月5日   レポート吉野

アップロードが遅くなってごめんなさい・・・

来年は、皆様もぜひ「千眼桜」の満開時をねらってみませんか  (管理人)

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京都・鴨川堤をぜひ散策しましょう・・・

 

京都と言えば皆さまは、一番になにを想像されますか?京料理や和菓子、清水寺や金閣寺でしょうか。京町家や路地歩きかな!各人各様の色々な楽しみ方ができる京都ですが、京都の自然も楽しんでみませんか。

実は京都の大きな魅力の一つが、自然だと思います。雄大な大自然はありませんが、人の手が少し加えられ、護られてきた(お寺や神社、行政関係等)繊細な自然が至る所で見られます。

その中でも私は鴨川の景観が大好きです。四季いずれも見どころですが、春の短い期間最も華やかに、魅力的に輝きます。高野川と合流する下流を鴨川、その上流は賀茂川と京都人は呼びます。現在の様な清流となったのは意外に最近の事です。下水道施設の発達と鴨川を守る会など市民の努力のお蔭で、150万都市の真ん中を流れながらアユ等が棲む清流となりました。

この河原は、源平の戦いの場に、時に遺体の埋葬場だったり、近世には処刑場であったりと悲しい歴史も秘められています。今は朝夕の散歩に、ジョギングに、子供たちの遊び場に若人のデート場所にと京都人にとって、空気のようになくてはならない存在です。京都に来られた皆様!ぜひゆっくり鴨川の散策をおすすめします。足の向くまま、気の向くままに・・・・

 

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“嵯峨大念仏狂言”はご存じですか

京都の西、嵯峨の釈迦堂の名前で親しまれている「清凉寺」の境内で執り行われる「嵯峨大念仏狂言」は、国の重要無形民俗文化財に指定されている民俗芸能です。役者が面をつけ、「せりふ」がなく、身振り手振りだけで芝居が進行する点に大きな特徴があります(壬生寺の狂言も無言劇)。その歴史は古く鎌倉時代に創始されたと言われます。その演目は「カタモン」と「ヤワラカモン」の2種類に大別され、ヤワラカモンは「釈迦如来」や「愛宕詣」のようなコミカルな要素をもった演目、カタモンは「土蜘蛛」や「船弁慶」のような能系統の演目などがあります。

お松明/春季公演(3/15)、春季公演4/1、4/7、4/8と行われますので、皆様も一度ご覧になりませんか。嬉しい事に観覧は全て無料です。

但し 現在「狂言堂」は修復工事のため、本堂東側で上演されます。

公演演目、時間、場所など詳しいことは、http://www.sagakyogen.info/

<嵯峨大念仏狂言保存会のパンフから抜粋>

 

 

 

 

 

 

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元離宮二条城の魅力 ≪世界遺産!≫

今年は明治維新から150年と言う節目の年である。昨年は、ここ二条城で第15代将軍、徳川慶喜が「大政奉還」を発表してから150年と言う大きな記念すべき年あった。

その二条城の本丸・内堀の南側にある桜の園や梅林がこれからの時期多くの入城者を迎えることになる。桜にはまだ少し早いが、梅林ではその蕾を膨らませ、一部では咲き始めている木も見受けられる。城内には約130本の梅の木があり、その殆どが南西側の梅林にある。中でも有名なのは一本の木に紅梅、白梅が咲く「源平咲き分けの梅」もこの梅林の中に存在在する。

昨年、お色直しを施し、黒と金と白のコントラストが大変美しい東大手門や3年前の修復でついつい見とれてしまう唐門がさらに魅力を増したことにより内外から多くの観光客を集めている。 レポート 須田

 

唐門(左)   東門(右)

隅櫓(下)

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2018『京の冬の旅』のおすすめ(1/6~3/18)

この時期だからこそゆったりと静かに京都を、お寺、お庭を味わえる恒例行事です。この得難い機会に『京の冬の旅』をお楽しみなってはいかがでしょうか?普段は非公開のところを拝観・観賞できるというのが、大きな利点です。更に今年は「スタンプラリー」がつあり、『3か所まわってちょっと一服』という特典が受けられます。お茶と御菓子がつくのは、俵屋吉富、花園会館「花ごころ」、本家八つ橋八坂店です。またコーヒー(紅茶)が頂けるところもあります(詳しくは京都市観光協会発行のチラシ=ちょっと一服券をご覧ください。3月18日までだから、今からでも遅くはありません。

今年の冬の旅は、NHK大河ドラマ「西郷どん」ゆかりの寺院・塔頭が多く含まれています。勿論その他に初公開の妙覚寺、豊光寺(相国寺山内)、泉涌寺舎利殿なども拝観できますので、お見逃しなく・・・・・

京都観光協会の廻し者(笑い!)^o^(ではありませんが、京都好き・歴史好きには良いチャンスです。   ※画像(筆者撮影)は、妙心寺・東海庵(5年ぶりの公開)のお庭です。

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あなたの願い事が神様の元へ!<下鴨神社>

毎年、下鴨神社の節分祭には、鴨神道による秘伝修法の御真木神事が行われます。御祈祷木に願意を記入して納めると、2月3日の御真木神事で御祈祷木が焚き上げられ、書かれた願意が煙となって神様の元に届けられます。(なお、御祈祷木は中門のところに置いてあります。)

立春から始まる新しい一年が、希望に満ちた一年となるよう、祈念されては如何でしょうか!

なお、境内の比良木社は、御祭神の建速須佐乃男命が荒ぶれた(とげとげしい)武神であることから棘を持つ柊に結びつき、また同神がイワシを好んだとの謂れにより、節分には鬼が嫌うとされる柊の枝にイワシの頭を挿して門扉に飾る厄除けの風習が生まれたとされています。神社では、節分の日、柊の小枝をつけたお札が授与されます。

※節分:季節が変わる節目で、立春・立夏・立秋・立冬の前日を指していましたが、

江戸時代以降は立春の前日だけを指す場合が多くなったようです。 リポート 神田

下鴨神社節分祭の予定<平成30年2月3日(土)>

午前10時  節分祭   於:本殿  午前11時  古神札焼納式  於:楼門南

午後 0時半 追儺弓神事 於:舞殿  午後 1時半 豆まき     於:舞殿

午後 2時  御真木神事 於:楼門南

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「西郷どん」と「月照さん」!!

NHK大河ドラマ「西郷どん」の放映が始まり、西郷隆盛を演じる鈴木亮平さんの役作りに期待します。西郷どんと深い絆で結ばれた清水寺成就院の住職だった勤王僧「月照上人」は、西郷らと共に幕政改革に奔走したものの、幕府から追われる身となりました。西郷は上人を薩摩に逃がそうとしましたが、薩摩藩は匿うことを拒否し、西郷と月照上人は錦江湾で入水自殺を図りました。西郷は奇跡的に助かりましたが、月照上人は惜しい命を落とました。清水寺南苑に楓の木々が連なる錦雲渓沿いに「忠僕茶屋」「舌切茶屋」が有り、それぞれの茶屋の名は月照上人と深い繋がりを持った人物(大槻重助、近藤正慎)のゆかりのお茶屋さんです。成就院前の石仏群の近くに「月照・信海・西郷隆盛歌詩碑」があります。成就院の「月の庭(1/27日~公開)」、歌詩碑、ゆかりの茶屋などを訪ねながら幕末維新の歴史を偲んでみてはいかがでしょうか     加藤 豊記

 

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金運パワーアップの御金(みかね)神社へ

    御池通りから西洞院通りを上がると、金色に輝く鳥居がお出迎え。御祭神は、金山毘古神(かなやまひこのかみ)。鉱山・鉱物の神として金属全般に御利益があることから今では「お金」に御利益の神様として、近年大注目の神社です。

境内の絵馬掛けには、願い事の書かれたイチョウの形の絵馬が鈴なりに奉納されています。皆さんの切実な願い事がぎっしり・・・イチョウ型の絵馬は、境内に立つご神木のイチョウの巨木から。葉を落とした木の枝ぶりが2匹の龍に見えることから仲睦まじい夫婦龍として親しまれています。落ち葉をいただいてお財布に入れておくお金がたまるとか。お正月限定の御金みくじも・・・大吉をGetしましょう。今年のお正月には、御金神社にお参りして金運パワーを授かりませんか。但しお金に振り回されないようにしたいものです(振り回されるほどあればの話ですが・・(*^_^*)  レポート 万木

場所:中京区西洞院通御池上る押西洞院町618

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今年の初詣は、縁結びの六角堂へ!!

新春パワースポット巡り第1

烏丸通り六角を東へ入ると六角堂(頂法寺)が見えます。聖徳太子創建の古いお寺で、数々の伝説(へそ石、親鸞夢告、池坊発祥地、縁結びの柳等)があります。今回は縁結びの柳伝説をお伝えしましょう。境内に入ってすぐ左手に枝を地面にまで垂らした柳の木があります。平安時代の初め、嵯峨天皇は六角堂を深く信仰して、ご本尊の如意輪観音様に「身も心も美しい女性を妃として与えたまえ」と祈願したところ夢枕に観音が立ち「六角堂の前に枝を張る柳の木の下にたたずむ女性を妃に迎えよ」とお告げがありました。行ってみると美しい女性が立っており、天皇はこの女性を妃に迎えました。ここから「六角堂の柳に願をかけると良縁に恵まれる」という噂が広がり、「縁結びの柳」と呼ばれるようになりました。枝が地面まで伸びていることから「地ずり柳」ともいい、おみくじを2本の柳の枝に結ぶと願いが叶うと言われ縁結びのパワースポットになっています。

お堂は、その名の通り六角形をしていますが、それがよりわかるのは、お隣のスターバックスから、全面ガラス張りの窓に六角堂の建物が広がります。カフェの窓からお寺が望めるのは何とも京都らしい眺めですね。またビルの展望エレベーターに乗って上から六角形の屋根を眺めるのも楽しいですよ。レポート 万木

場所:中京区六角通東洞院西入堂之前町

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院政期の鳥羽離宮址を訪ねる!!

鳥羽天皇安楽寿院陵

平安時代の院政の名残を探しながら、歩いてみませんか。近鉄・地下鉄竹田駅から歩いて約10分で、白河上皇や鳥羽上皇の時代の鳥羽離宮の名残を見つけられます。平安京の南に位置する鳥羽の地は、鴨川と桂川の合流点に近く、鳥羽の作道を3㎞ほど北上すると、羅城門、朱雀大路に至る水陸交通の重要地点でした。この鳥羽離宮には、南殿、北殿、泉殿、馬場殿、東殿、田中殿と呼ばれた御所が造営されました。現在、東殿の安楽寿院、鳥羽天皇が奉葬された御陵の場所の多宝塔、泉殿の成菩提院があった白河天皇陵を散策できます。続いて、都の南を守る城南宮を訪ねます。城南宮では、1月20日には湯立て神楽を楽しめます。最後に、関ヶ原の戦いと同じように、天下分け目の戦いであった鳥羽伏見の戦いが始まった小枝橋の石碑で平安時代から明治維新までの歴史を堪能する散歩道です。途中、北向山不動院で変わった狛犬を見つけました。  武井レポート

白河天皇成菩提院陵

 

 

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同志社の文化財建築物をご覧になりませんか!

国指定の『重要文化財』である建物を5棟もある学校は、多くの学園や大学にも例がないでしょう。NHK大河ドラマ「八重の桜」に登場した新島 襄が、1875(明治8)年同志社英学校を開校しました。その5棟の建物を外部からなら、いつでも自由に見学できます。

断っておきますが、私は同志社の廻し者でも、またOBでもなくこの素晴らしい明治の香りのする煉瓦造りの建築物が好きな一市民です。

①彰栄館

現存する京都市内で2番目に古いレンガ造りの①「影栄館」、外観は煉瓦の洋風だが内部の構造形式は和風です。搭屋は鐘塔と時計塔を兼ねています。②チャペル(礼拝堂)は煉瓦造りのチャペルとして日本最古です(ステンドグラス画像)。ハリス理化学館(画像割愛)当初は八角形の天文台があったとか。ギャラリーが開設されているので見学自由です。③クラーク記念館(トップ画像)阪神大震災後5年近くの歳月と多額の経費により「修理」「復元」「構造補強」工事が成された。現在は結婚式場としても利用できるそうです。④は内部画像、⑤有終館は最初の図書館だった。戦前に内部を焼失、その火災の為煉瓦が黒く変色しています。OB,OGでなくとも一度見学されたらいかがでしょう。烏丸通を挟んだ西側、少し北にある「寒梅館」では、レストランや喫茶も楽しめます。 場所:同志社大学今出川校地<上京区烏丸通今出川上がる・地下鉄今出川駅下車すぐ>

 

  

②チャペル内部         ④クラーク記念館内部

⑤ 有終館

 

 

 

 

 

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『ルルゲ さん』 はご存じでしょうか? 

京都 嵯峨    有栖川のほとり  安堵の塔  という   古墳の石蓋がある この辺りには 古代遺跡が 今も数多く点在している 1314年 日蓮宗の開祖 日蓮の弟子で 京都に法華経の教えを説いてまわり

人々の信仰を集めていた 僧 龍華院 日像上人が  車折神社で 布教をしていた際に他の宗派から 弾圧を受けた その時 近くにあった  甲塚(兜塚) 古墳に身を隠し 難を逃れて 助かったという 日像は これに感謝し 古墳の蓋に  題目を刻んだと伝えられ     災難除け   と信仰されるようになった

地元の人は 「龍華」 をルルゲさんと親しみを込めて呼び大切に祀っている

また近くには地元の人に知られる「油掛地蔵」もおられます。

nuno リポート

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今年は、応仁の乱から550年!

今から550年前(1467年)、応仁・文明の乱が始まりました。応仁元年1月、上御霊神社(御霊の森)にて勃発。その後足利将軍家の跡継ぎ問題ともからまり、都だけにとどまらず地方にもその戦いは波及、11年も不毛の戦いが続きました。その史跡(の一部)を辿ってみました。

応仁元年5月、細川勝元率いる東軍と山名宗全の西軍が激突(相国寺合戦)、そのため相国寺はすっかり焼け落ちました。応仁の乱の西軍の陣地跡に織物業が起こり、それを西陣織と言われましたが、東陣はすっかり忘れられました。今春漸く「東陣跡の説明板」が立てられました。

多くの寺社仏閣、民家を焼いた乱の中、唯一焼けず護られ今も雄姿を残す「大報恩寺(千本釈迦堂)」!簡素で優美な檜皮葺入母屋造りの国宝の本堂に見とれました。霊宝館は割愛して上七軒へ。近年電柱を地下化、電線のない青空が西に輝き、北野天神の森、遠くに愛宕山が顔をのぞかせ、江戸時代にタイムスリップしたような不思議な感覚を覚えました。

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鞍馬寺から木の根道越えて貴船神社へ

鞍馬寺といえば誰でもすぐ牛若丸(源義経の幼名)を思い出すほど有名なお寺ですね。「鞍馬の火祭」もよく知られていますが、「由岐神社」の祭事で鞍馬寺のものではありません。道幅の狭い鞍馬街道と鞍馬寺の山門前の階段と広場で行われ、多くの見物客を収容できない為、なかなか京都人でも見物の機会が得にくい奇祭です。毎年時代祭の夜、10月22日に行われます。本堂にお参りして霊宝殿を経て木の根道へ。山道はよく整備され、道筋には手すりが常備され石段が続きます。夜な夜な剣術の稽古に励む牛若丸に想いを馳せて僧正が谷で小休憩、喉を潤す。その後急な石段を下って、一路貴船神社・奥宮に向かいます。ここは水の神様で有名な神社。近年は縁結びの神様としての人気が高まっています。また「水占い」が珍しいです。お盆も過ぎていますが、多くのお参り客が列を作っていました。有名な「川床料理」の店も繁盛している様子・・・奥宮から叡電貴船口まで歩きましたので、少々足が疲れました。秋の紅葉は素晴らしいだろうなあ・・と「叡電」に揺られ帰途につきました。

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早朝の清水寺へお参りしませんか!!

1年中参拝者で賑わう清水寺。特に最近は、訪日客の増加で、清水道・五条坂のバス停から仁王門・舞台に至るまで、ぎっしりと言っていいくらいの人通りが続きます。

その清水寺で、月2回、境内左手の円通殿において、午前7時30分(冬場は午前8時)から、第2日曜日は森清範貫主の法話の会、第4日曜日は北法相宗仏教文化講座(今年は国際日本文化研究センター村井康彦先生の「日本文化の原像」)が開かれます。昼間の喧騒とはうって変わった静けさの中で、大変わかりやすいお話を聴くことができます。

聴講の日は、その30分前から本堂で行われる朝の勤行に参加します。貫主以下僧侶の方々の後ろに正座し、30人くらい、一緒に読経するのです。観音菩薩の教えを説いた2千字余りのお経ですが、早朝の凛とした空気の中で、みんなで声を上げて読んでいると、不思議にありがたい気持ちになります。形から入る、というのはこのことかと思いました。

勤行が始まる時間帯は既に一般拝観が始まっていますが、拝観者に混じって入寺の際、経書を示すとそのまま入ることができ、「ようお参りで」と声を掛けられると、気が引き締まります。  リポート古谷

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『秦家住宅』文化財特別観賞7/21~23

秦家は祇園祭で「太子山」を出す町内にあり、江戸時代から薬屋を営む。京都市登録有形文化財の指定があり、今回7/21~7/23の特別観賞期間が設けられ見学してきました。主屋は店舗部と奥の居住部を玄関部でつないだ「表屋造り」です。蛤御門の変で焼失したが明治2(1869)年頃再建され、明治35年に増築されたとか。店舗部の外観は高さに変化をつけ、当時流行した看板(奇應丸)を作りつけたりして変化に富んでいます。内部の撮影は許されませんが、外観だけならいつでも拝見できます。まるで江戸時代を彷彿とさせる雰囲気ある外観は一見の価値ありだと思います。今なお大事に管理・維持され居住されていますので、節度を持って外部の見学・撮影など対応下さい。京都は貴重な建物が維持され大きな魅力ですが、維持・管理に苦慮或いは存続の危機にある所が多く何処も厳しい現状です。所在地は下京区油小路仏光寺下ル太子山町

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一度は見たい”祇園祭” 京都の夏本番!!

京都の夏を盛り上げる日本三大祭の一つ。八坂神社の祭礼「祇園祭」は、7月1日~31日の1ヶ月間も続く祭礼です。「ユネスコ無形文化遺産」のクライマックスである山鉾巡行が前祭と後祭にわけて巡行されます。10日の山鉾建て(釘を使わず縄だけで組み上げる)、12日からの曳き初め(試し曳きには、女性や子供も参加が出来ます)、宵山の15・16日は歩行者天国になります。17日は山鉾巡行でハイライトは注連縄切りと辻廻しは四条河原町と河原町御池で見られます。後祭の巡行は24日で前祭りの逆方向に廻ります。

大船鉾は、蛤御門の変で焼失しましたが、平成26年に150年ぶりに復活、注目を浴びています。山鉾巡行時に約400年前から町内に伝わるご神体人形「神功皇后」の顔に取り付けます。本面に変えて「写し面」が造られ、御払いをうけその後非公開となります。昨年大船鉾の舳先には、龍頭をつけて巡行したが、今年の舳先は大金弊です。隔年毎異なる巡行も楽しみましょう。11日から24日まで、その日の見所を楽しんで頂けるようご案内致します。

八坂神社の神輿の見所

神幸祭の三社揃い踏み。出発前に八坂神社の西楼門前に集まった三つの神輿が「ほいっと!ほいっと!」という声で神輿が担ぎ上げられる。差し上げ、時計回りに回転させる差し回しは必見です。

昨年の「大船鉾」と下部の画像は「鯉山」                    リポート Y、K

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世界遺産・平等院 一度は行きたい!!

「わが庵は都のたつみ しかぞ住む   世をうぢ山と人はいふなり」 喜撰法師

Q: 一万円札のモデルの鳳凰は左右のどちらでしょう(最終行に答え)

この歌は平安時代の初期に詠まれています。宇治はこのように平安京の辰巳(東南)15㎞程の地にあり、宇治川が琵琶湖から流れて、温暖な気候に恵まれています。この風光明媚な宇治に皇族や貴族の別業(別荘)が営まれました。中でも栄華をきわめた藤原道長の別業は、その子関白頼通によって1052年に平等院となりました。

1994年(平成6年)宇治川の対岸の宇治上神社とともに古都京都の文化財として世界文化遺産に登録されました。

浄土式庭園と言われる庭にある鳳凰堂は、1951年(昭和26年)に国宝指定された時から今も変わらず十円硬貨に刻まれ、また鳳凰堂の屋根の上の鳳凰は2004年(平成16年)より一万円札の裏面に描かれています。

鳳凰堂の中に座していらっしゃる阿弥陀如来(国宝)は定朝が彫った寄木造りであると確定している、唯一の仏像です。また鳳翔館には雲中供養菩薩52体(国宝)中26体が展示されていて、それらは天空に音楽を奏で、舞い、または座して祈り、極楽もかくありなんという空間になっています。

平安時代の末に平家に反旗を翻した最初の源氏、源三位頼政がついにこの地で自害したと言われる扇の芝など、実に見どころの多いお寺です。            リポート 荻野

A: 創建当初の鳳凰は鳳翔館にあり、展示室に入って一対の内の向かって右側の鳳凰です。

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梅宮大社<猫神社>はご存知ですか?

凡そ1300年以上前に橘氏の祖・橘諸兄(たちばなのもろえ)の母が綴喜郡井手町に創建、のちに橘(たちばなの)嘉智子(かちこ)(嵯峨天皇皇后)が現在地に遷座しました。ご祭神は本殿に酒(解神(さけとけのかみ)=(大山祇神((おおやまずみのかみ)ほか3座をお祀りしています。この祭神は酒造の祖神です。檀林皇后(橘嘉智子)は当社に祈願し初めて皇子(仁明天皇)をもうけたといい、以来子授け・安産の神として信仰され、境内に「またげ石」や産砂をうける風習があります。また学業・芸能の神としても崇められています。

梅は中国から伝来、その清楚な美しさから、また実は薬用として珍重され、梅宮大社には40種約550本の梅木があり、その実を漬けた招福梅もあります。

境内の北側の神苑(入園料¥550)は一見の価値あります。早春の梅から八重桜、4月のキリシマツツジ、5月上旬のカキツバタ、6月の「花菖蒲」と「あじさい」が素晴らしく見ごたえがあります。咲耶池・勾玉池を巡って花を観賞、「池中亭茶室」も風雅な姿を見せています。3月の梅産(うめうめ)祭、5月の神幸祭、8月の嵯峨天皇例祭などが賑わいます。近年猫好きの方々が集まる“猫神社”としても知られています。  梅宮大社 <右京区梅津>   (阪急電鉄嵐山線松尾駅下車)   

ホームページアドレスをご参考までに  http://www.umenomiya.or.jp/ 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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洛北一詩仙堂を訪ね、石川丈山に想いをはせる

五月晴れの23日、詩仙堂を訪ねる。この山荘は、徳川家康の近習<きんじゅ又はきんじゅうとも>だった石川丈山が官を辞して(今ならリタイヤして)、のち長く隠棲した閑居。中国漢、唐など36人の詩人の肖像を掲げる部屋名から詩仙堂と呼ばれるようになった。曹洞宗の「丈山寺」でもあり、この日は関係者による法要が営まれ庭園は自由見学できた。

この庭園は鹿威し(シシオドシ)発祥の地。僧都(添水)<そうず>ともいい、静けさを強調する仕掛けとしてよく知られている。

石川丈山は漢詩に優れ、また儒学、書、煎茶、造園(東本願寺渉成園)などの精通していた。丈山は徳川家譜代の家系で出仕してからずっと家康の近習を務め、信頼も厚かったが、大阪夏の陣において近侍の掟を破り、功を焦って(通説)戦場に突っ込む。この為謹慎処分となる。辞職後実家に戻り、母の願いから浅野家に仕官するもその没後念願?の隠棲生活を送るべく京都へ。漸く「武」から「文」の世界へ。儒者藤原惺窩に師事、林羅山等々多くの文人儒家と交わり隠棲生活というも弟子もつき、俗から離れた自由な生活を送り天寿を全うする(一度も鴨川を西に渡らず)。

下記画像が元祖 「ししおどし」  いったい何代目だろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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爽やかな季節、鴨川(と賀茂川)を歩きませんか!!

私の大好きな鴨川は、北山の桟敷ヶ岳を源流とし、下鳥羽で桂川と合流するまで約35kmの一級河川です。かもがわは、出町柳から上流を賀茂川(上賀茂神社に因む)、合流後の下流域を鴨川(下鴨神社に因む)と使い分け現在の整備された鴨川は、市民の憩いの場となっていますが、長い歴史の上では京都人と深く関わり様々な顔を持っています。平安時代は伊勢斎宮のみそぎの場としての神聖な川であり、またある時は飢饉や疫病の犠牲者の葬送の地ともなり、時として権力者による処刑の場ともなりました。江戸時代には四条河原周辺には芝居小屋をはじめ多くの店が進出して一大歓楽地にもなりました。

白河法皇の「天下三不如意」にあるように、為政者にとって暴れ川の治水対策は頭痛の種だったかも知れません。豊臣秀吉は「御土居堀」を造り、江戸時代の始めには「寛文新堤」が造られ、昭和10年の大水害の後には大規模な治水工事が行われました。戦後は「鴨川を美しくする会」などの市民活動や「鴨川広域公園」が造られ、京都の美しい自然のシンボルとして、市民の憩いの場として親しまれています。

★画像は鴨川のどこでしょうか?捜してみてください。見つけたらメール頂くと嬉しいです。

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◆待賢門院璋子(たいけんもんいんしょうし)と法金剛院のお話

29歳の若さで法金剛院(ほうこんごういん)を建て、人が造る滝では最も古い滝石組の庭造りに夢中になったひとりの女性がいた、その女性は待賢門院璋子。璋子は白河法皇の寵妃(ちょうひ)祇園(ぎおん)女御(にょうご)の養女となり、美しく艶(つや)のある女性になった。1117年法皇は璋子を孫、鳥羽天皇の中宮にした。やがて二人に崇徳(すとく)帝が誕生。しかし、璋子が生んだ崇徳帝を鳥羽天皇は「叔父子(おじこ)」と呼んだという。5歳で崇徳帝は天皇に即位、 翌年璋子は待賢門院となる。女院は鳥羽天皇との間に5男2女を儲けたが、1129年白河法皇崩御。法皇の追善供養を兼ね待賢門院は法金剛院で落慶供養を行った。五位山(ごいやま)を背に大池、阿弥陀堂、女院の東御所を造営。特に、女院は浄土庭園には思い入れが強く、滝の高さ 2.2mであったのを一段高く石組を積み上げ4.3mの高さにした。

女院の御所には、才媛が仕えており、女院の姿をひと目見んと都人が往来し、華やかな宮廷生活が繰り広げられていた。その中に西行の姿もあったという。鳥羽上皇が美福門院(びふくもんいん)を寵愛するようになると、待賢門院は権勢を失い、1142年自らが復興させた法金剛院で髪を下し、3年後、45歳で亡くなった。法金剛院は7月になると極楽浄土の蓮が咲き、待賢門院の往時を偲ばせている。

待賢門院彰子画像は2014.7.3京都新聞掲載の「京のうつろいの美」から転載させていただきました。

レポート 吉村