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秦家は祇園祭で「太子山」を出す町内にあり、江戸時代から薬屋を営む。京都市登録有形文化財の指定があり、今回7/21~7/23の特別観賞期間が設けられ見学してきました。主屋は店舗部と奥の居住部を玄関部でつないだ「表屋造り」です。蛤御門の変で焼失したが明治2(1869)年頃再建され、明治35年に増築されたとか。店舗部の外観は高さに変化をつけ、当時流行した看板(奇應丸)を作りつけたりして変化に富んでいます。内部の撮影は許されませんが、外観だけならいつでも拝見できます。まるで江戸時代を彷彿とさせる雰囲気ある外観は一見の価値ありだと思います。今なお大事に管理・維持され居住されていますので、節度を持って外部の見学・撮影など対応下さい。京都は貴重な建物が維持され大きな魅力ですが、維持・管理に苦慮或いは存続の危機にある所が多く何処も厳しい現状です。所在地は下京区油小路仏光寺下ル太子山町

京都の夏を盛り上げる日本三大祭の一つ。八坂神社の祭礼「祇園祭」は、7月1日~31日の1ヶ月間も続く祭礼です。「ユネスコ無形文化遺産」のクライマックスである山鉾巡行が前祭と後祭にわけて巡行されます。10日の山鉾建て(釘を使わず縄だけで組み上げる)、12日からの曳き初め(試し曳きには、女性や子供も参加が出来ます)、宵山の15・16日は歩行者天国になります。17日は山鉾巡行でハイライトは注連縄切りと辻廻しは四条河原町と河原町御池で見られます。後祭の巡行は24日で前祭りの逆方向に廻ります。

大船鉾は、蛤御門の変で焼失しましたが、平成26年に150年ぶりに復活、注目を浴びています。山鉾巡行時に約400年前から町内に伝わるご神体人形「神功皇后」の顔に取り付けます。本面に変えて「写し面」が造られ、御払いをうけその後非公開となります。昨年大船鉾の舳先には、龍頭をつけて巡行したが、今年の舳先は大金弊です。隔年毎異なる巡行も楽しみましょう。11日から24日まで、その日の見所を楽しんで頂けるようご案内致します。

八坂神社の神輿の見所

神幸祭の三社揃い踏み。出発前に八坂神社の西楼門前に集まった三つの神輿が「ほいっと!ほいっと!」という声で神輿が担ぎ上げられる。差し上げ、時計回りに回転させる差し回しは必見です。

昨年の「大船鉾」と下部の画像は「鯉山」                    リポート Y、K

「わが庵は都のたつみ しかぞ住む   世をうぢ山と人はいふなり」 喜撰法師

Q: 一万円札のモデルの鳳凰は左右のどちらでしょう(最終行に答え)

この歌は平安時代の初期に詠まれています。宇治はこのように平安京の辰巳(東南)15㎞程の地にあり、宇治川が琵琶湖から流れて、温暖な気候に恵まれています。この風光明媚な宇治に皇族や貴族の別業(別荘)が営まれました。中でも栄華をきわめた藤原道長の別業は、その子関白頼通によって1052年に平等院となりました。

1994年(平成6年)宇治川の対岸の宇治上神社とともに古都京都の文化財として世界文化遺産に登録されました。

浄土式庭園と言われる庭にある鳳凰堂は、1951年(昭和26年)に国宝指定された時から今も変わらず十円硬貨に刻まれ、また鳳凰堂の屋根の上の鳳凰は2004年(平成16年)より一万円札の裏面に描かれています。

鳳凰堂の中に座していらっしゃる阿弥陀如来(国宝)は定朝が彫った寄木造りであると確定している、唯一の仏像です。また鳳翔館には雲中供養菩薩52体(国宝)中26体が展示されていて、それらは天空に音楽を奏で、舞い、または座して祈り、極楽もかくありなんという空間になっています。

平安時代の末に平家に反旗を翻した最初の源氏、源三位頼政がついにこの地で自害したと言われる扇の芝など、実に見どころの多いお寺です。            リポート 荻野

A: 創建当初の鳳凰は鳳翔館にあり、展示室に入って一対の内の向かって右側の鳳凰です。

凡そ1300年以上前に橘氏の祖・橘諸兄(たちばなのもろえ)の母が綴喜郡井手町に創建、のちに橘(たちばなの)嘉智子(かちこ)(嵯峨天皇皇后)が現在地に遷座しました。ご祭神は本殿に酒(解神(さけとけのかみ)=(大山祇神((おおやまずみのかみ)ほか3座をお祀りしています。この祭神は酒造の祖神です。檀林皇后(橘嘉智子)は当社に祈願し初めて皇子(仁明天皇)をもうけたといい、以来子授け・安産の神として信仰され、境内に「またげ石」や産砂をうける風習があります。また学業・芸能の神としても崇められています。

梅は中国から伝来、その清楚な美しさから、また実は薬用として珍重され、梅宮大社には40種約550本の梅木があり、その実を漬けた招福梅もあります。

境内の北側の神苑(入園料¥550)は一見の価値あります。早春の梅から八重桜、4月のキリシマツツジ、5月上旬のカキツバタ、6月の「花菖蒲」と「あじさい」が素晴らしく見ごたえがあります。咲耶池・勾玉池を巡って花を観賞、「池中亭茶室」も風雅な姿を見せています。3月の梅産(うめうめ)祭、5月の神幸祭、8月の嵯峨天皇例祭などが賑わいます。近年猫好きの方々が集まる“猫神社”としても知られています。  梅宮大社 <右京区梅津>   (阪急電鉄嵐山線松尾駅下車)   

ホームページアドレスをご参考までに  http://www.umenomiya.or.jp/ 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

五月晴れの23日、詩仙堂を訪ねる。この山荘は、徳川家康の近習<きんじゅ又はきんじゅうとも>だった石川丈山が官を辞して(今ならリタイヤして)、のち長く隠棲した閑居。中国漢、唐など36人の詩人の肖像を掲げる部屋名から詩仙堂と呼ばれるようになった。曹洞宗の「丈山寺」でもあり、この日は関係者による法要が営まれ庭園は自由見学できた。

この庭園は鹿威し(シシオドシ)発祥の地。僧都(添水)<そうず>ともいい、静けさを強調する仕掛けとしてよく知られている。

石川丈山は漢詩に優れ、また儒学、書、煎茶、造園(東本願寺渉成園)などの精通していた。丈山は徳川家譜代の家系で出仕してからずっと家康の近習を務め、信頼も厚かったが、大阪夏の陣において近侍の掟を破り、功を焦って(通説)戦場に突っ込む。この為謹慎処分となる。辞職後実家に戻り、母の願いから浅野家に仕官するもその没後念願?の隠棲生活を送るべく京都へ。漸く「武」から「文」の世界へ。儒者藤原惺窩に師事、林羅山等々多くの文人儒家と交わり隠棲生活というも弟子もつき、俗から離れた自由な生活を送り天寿を全うする(一度も鴨川を西に渡らず)。

下記画像が元祖 「ししおどし」  いったい何代目だろうか?