清流・高瀬川と幕末史跡

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清流沿いの緑多い木屋町通り(夜は屈指のネオン街)を四条、三条、二条と楽しみ、
東海道西の起点、弥次喜多さんも大名行列も渡った?三条大橋のたもとでコーヒータイム
もいいかも・・・

四条河原

京都一の繁華街、昔も今も四条通りは新しい!
<美女4人は橋の下でなにしている?>
sijyokawara1近世「出雲の阿国」が、この河原で「歌舞伎踊」を行い、最盛期には7軒もの芝居小屋があった。また納涼地として親しまれ、河原に床几を並べた。現在も右岸の「京都鴨川納涼床」が例年5月1日~9月30日まで、実施されている(約90軒以上)。京の夏の風物詩

川風や薄柿着たる夕すずみ 芭蕉

 

高瀬川(運河)

明治の日本映画の発祥地もありますよ!

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高瀬川とは、鴨川の水を利用した運河です。

京の豪商角倉了以によって、京都の中心部と伏見港を結ぶ10,5kmが、慶長19(1614)年完成した。

高瀬川のもたらした経済効果は、市中の物価にまで影響するほど・・。

京都の発展に大きく貢献したが、大正9(1920)年、遂に300余年の運河として使命を終えました。

 

象山先生遭難碑

当時のイケメン ダンディな長身の紳士だったとか・・・

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幕末の兵法学者、当代きっての蘭学者で勝海舟、吉田松陰、橋本左内、坂本龍馬、山本覚馬など多くの門下生をもった。この地で、刺客に襲われ惜しくも落命した。妻お順は勝海舟の妹、息子は新選組に入隊する。syouzan2

 


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坂本龍馬も近藤勇(新選組)も闊歩した高瀬川沿いの木屋町通りを四条から二条通りまで北へ
歩きます。春は桜のトンネル、夏は涼しい木陰、秋冬は池波正太郎も愛した散歩道・・・・
幕末維新史跡めぐり

★四条木屋町通りから高瀬川に沿って北へ進む <約2時間半> 
南座正面(阪急河原町駅) ⇒ 四条大橋 ⇒ 元立誠小学校 ⇒ 先斗町 ⇒ 瑞泉寺 ⇒ 三条小橋 ⇒ 佐久間象山遭難碑 ⇒ 一之舟入り <お帰りは地下鉄京都市役所前>

 

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