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8月 2018

In 京都再発見/ 新着/ 耳より情報

世界遺産:龍谷山『本願寺』の太鼓楼!

 西本願寺(通称)といえば、国宝の阿弥陀堂、御影堂(ごえいどう)、書院や能舞台、特別名勝のお庭に飛雲閣、更に多くの重要文化財をもつ世界文化遺産であることは、ご存じのことでしょう。数多くの国宝や重要文化財の指定のある建物の中で、外部からも見えるが、気づかれにくい建物=それが「太鼓楼」(重要文化財)です。1950年代まで人々に時を知らせるため「ドンドンドーーーン」と打ち鳴らされていたそうですが、時代とともにその必要性も低下、やがて長い眠りにつきました。ところがこの太鼓楼は、実は貴重な歴史的施設である事をご存じでしょうか?

今年は明治150年ですが、あの幕末期太鼓楼に「新選組」が屯所として滞在した歴史があるのです。もう一つの「北集会所」は、今はなく太鼓楼は本願寺に残る新選組の史跡として唯一の建物です。彼らは境内で実弾射撃をしたり大砲を撃ったりで、僧侶や門信徒を恐れさせ嫌がられていました。その為本願寺は出て行ってもらう為、色々な苦労をしたようです。現在太鼓楼の内部は、非公開のため拝見できません。しかしここにあの新選組の若者達が寝起きしていたと思うとなにやら不思議なものを感じます。

話は変わりますが、本願寺では「お西さんを知ろう」と言ってお坊さん自ら無料で、案内してくれます。1日4回(午前2回、午後2回)、総合案内所からスタートして約30分説明されます。お坊さんの得意な分野など聞けば、色々教えて頂けます。一般の方が僧侶と親しく仏教の話から悩み?まで話せるいい機会かも知れません。ちなみに私は1時間もお付き合い頂きました(暇だったのかな?)。

In 京都再発見/ 新着/ 耳より情報

西郷(せご)どんにも逢った?幕末の女性勤皇家!!

  嵐山大井川沿いの階段を登ると亀山公園です。公園内には、亀山天皇、後嵯峨天皇、後伏見天皇の火葬塚があり、百人一首の歌碑も多く点在しています。この亀山公園は天龍寺にも縁の深い亀山天皇に因んで名づけられています。

その近くに、ひっそりとではありますが堂々とした風格の女性の像があります。幕末の勤皇家で津崎村岡局・本名・津崎矩子(のりこ)の像です。

津崎矩子は、この嵯峨野に生まれ、後に公家であった近衛忠熙(ただひろ)に仕え、老女となり村岡局の名を頂きます。

幕末の政局があわただしくなると、近衛忠熙は、尊王譲位派の公家として頭角を現します。村岡局は、僧月照など志士らとの親交を持ち、公家と志士との連絡係として、特に、近衛卿や西郷隆盛らの運動を助けました。近衛忠熙はNHK大河ドラマにも登場していますね。篤姫は近衛家の養女となり徳川家に嫁ぐさい、村岡局は養母として同行します。しかし、安政5年(1858)井伊直弼のよる、安政の大獄により、近衛忠熙は失脚、村岡局は京都奉行所の厳しい取調べの後、江戸に送られますが、「永の慎」に処せられ嵯峨野の帰されます。

大覚寺北にあります荒れ果てた山寺、『直指庵』を浄土宗の寺として復興し隠居。そこで近辺の子女教育に尽くし維新後は賞典禄20石をうけたまわっています。明治6年(1873)88歳で没しました。直指庵は、<直指人心>の禅語から名づけられ、正直に向かい合う という意味が含まれているそうです。  

レポート 藤田