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5月 2018

In 新着/ 耳より情報

御寺-みてら-泉涌寺 (真言宗泉涌寺派大本山)

13世紀初め(790余年前)清泉の湧いたところから「泉涌寺」と名づけられる。開山は俊芿(しゅんじょう)律師。戒律を基本とし天台、真言、禅、浄土の四宗を兼学する寺院として信仰を集めた。

1242年四条天皇の葬儀と月輪陵が、寺内に営まれて以来天皇家と縁が深く、室町前期(1374年)から歴代天皇・皇妃の御火葬所や墓所(御陵)となり、皇室の菩提寺(香華院)として特別な存在の寺になり御寺・みてらと呼ぶ。特に江戸時代の「後水尾天皇」から「孝明天皇」まで14代の歴代天皇の葬儀が行われ、ここに埋葬された。

明治維新まで600年に及ぶ天皇家との強い絆は、御寺にとって最大の誇りであり別段の風格をもち、現在も皇室の尊崇篤く、毎年皇室の方々が参拝されている。

御寺の長い歴史の中で応仁の乱などで焼失、荒廃をした。その後何度も再興され、なかでも徳川家綱(4代)の全面的支援は仏殿(重文)画像、水屋形(重文)として現在に残る。大門(重文)は、慶長期の内裏の門を移築したもの。その他多くの見どころありますが、「御陵遥拝所」(画像)もご参拝されるといいでしょう。毎年3月14~16日には日本最大の涅槃図(高さ15.1m、幅7.3m)が公開されます。9つの塔頭(即成院・今熊野観音寺など)もそれぞれ特徴ある良い寺院ですから時間のある時はこちらを訪ねるのもいいでしょう(非公開もあり)。

写真は仏殿の軒下

 

In 新着/ 耳より情報

東山七条の「総本山智積院(ちしゃくいん)」はいかがですか!

国宝の障壁画

桃山時代に全盛期であった狩野派に対抗して、独自の画風を確立した長谷川等伯。その一派によって描かれた。日本の障壁画を代表するものとして、楓図、桜図、等々が有り、桜図は長男、久蔵が25歳の時に描いた作品で、楓図に於いては、等伯が久蔵に対する哀惜の情を振り切り、自己の生命力を画面一杯傾けて描き出されています。

智積院は真言宗智山派の総本山として、現在約三千の末寺を擁する。その中には、初詣で有名な成田山新勝寺、川崎大師、ハイキングで有名な高尾山薬王院、等々あり、檀信徒は約30万人。

真言宗は、弘法大師空海上人により開宗されましたが平安末期になると宗勢は衰微してしまいます。その時、鳥羽上皇の信任を得た興教大師覚鑁(かくばん)上人(しょうにん)が高野山に登り真言教学を再興しました。晩年覚鑁が移り住んだ「紀州・根来寺」で真言教学を学ぶ学問所として隆盛しましたが、豊臣秀吉に全山を焼き払われた。その後、秀吉が愛児、鶴松の菩提を弔う為に建立した「祥雲禅寺」を家康は智積院・住職に寄進し、現在に至ります。

 

 

 

 

 

 

 

名勝庭園

利休好みの庭と伝えられ中国の廬山(ろざん)模って(かたどって)います。秀吉の祥雲禅寺時代に造られた石橋より奥は自然石のみを用いて、深山の中にいるような奥行のある勇壮さを感じさせてくれます。特に、ツツジ・サツキの咲く頃が一段と艶やかさを増します。