京都市の鴨川にかかる御池大橋西詰めに漱石の句碑が鎮座しています。
この句にまつわる彼のエピソードを御紹介いたします。 お堅いイメージの文豪夏目漱石は花街の祇園とは縁遠い印象を受けるが、明治40年春に京都の寺めぐりばかり楽しんでいた彼は、たまたま京都に来ていて出会った高浜虚子に誘われ『都をどり』を見物しています。その後祇園の有名料亭で舞妓や芸妓と遊び、そのまま彼女らと雑魚寝して朝帰りするなど柔かい?一面を覗かせています。 大正4年の早春、漱石とお茶屋『大友(だいとも)』の女将・多佳は北野天満宮で梅見デートを約束したが、当日お互い行き違ってとうとう会えなかったそうです。(当時、携帯電話があったなら問題なかったのに・・・・・) このことを「漱石はフラれた」と噂した京雀もいましたが真相は違うようです。後日、漱石は多佳に頼まれて色紙に俳句をしたためましたが、その句が歌碑に刻まれています。 「春の川を 隔てて 男 女哉」 ・・・漱石は数日間木屋町の宿に逗留していましたが、鴨川を挟んで反対側の祇園に住む多佳を思って作った句と云われています・・・ 島添リポート
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