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今年は、応仁の乱から550年!

今から550年前(1467年)、応仁・文明の乱が始まりました。応仁元年1月、上御霊神社(御霊の森)にて勃発。その後足利将軍家の跡継ぎ問題ともからまり、都だけにとどまらず地方にもその戦いは波及、11年も不毛の戦いが続きました。その史跡(の一部)を辿ってみました。

応仁元年5月、細川勝元率いる東軍と山名宗全の西軍が激突(相国寺合戦)、そのため相国寺はすっかり焼け落ちました。応仁の乱の西軍の陣地跡に織物業が起こり、それを西陣織と言われましたが、東陣はすっかり忘れられました。今春漸く「東陣跡の説明板」が立てられました。

多くの寺社仏閣、民家を焼いた乱の中、唯一焼けず護られ今も雄姿を残す「大報恩寺(千本釈迦堂)」!簡素で優美な檜皮葺入母屋造りの国宝の本堂に見とれました。霊宝館は割愛して上七軒へ。近年電柱を地下化、電線のない青空が西に輝き、北野天神の森、遠くに愛宕山が顔をのぞかせ、江戸時代にタイムスリップしたような不思議な感覚を覚えました。

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