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御寺-みてら-泉涌寺 (真言宗泉涌寺派大本山)

13世紀初め(790余年前)清泉の湧いたところから「泉涌寺」と名づけられる。開山は俊芿(しゅんじょう)律師。戒律を基本とし天台、真言、禅、浄土の四宗を兼学する寺院として信仰を集めた。

1242年四条天皇の葬儀と月輪陵が、寺内に営まれて以来天皇家と縁が深く、室町前期(1374年)から歴代天皇・皇妃の御火葬所や墓所(御陵)となり、皇室の菩提寺(香華院)として特別な存在の寺になり御寺・みてらと呼ぶ。特に江戸時代の「後水尾天皇」から「孝明天皇」まで14代の歴代天皇の葬儀が行われ、ここに埋葬された。

明治維新まで600年に及ぶ天皇家との強い絆は、御寺にとって最大の誇りであり別段の風格をもち、現在も皇室の尊崇篤く、毎年皇室の方々が参拝されている。

御寺の長い歴史の中で応仁の乱などで焼失、荒廃をした。その後何度も再興され、なかでも徳川家綱(4代)の全面的支援は仏殿(重文)画像、水屋形(重文)として現在に残る。大門(重文)は、慶長期の内裏の門を移築したもの。その他多くの見どころありますが、「御陵遥拝所」(画像)もご参拝されるといいでしょう。毎年3月14~16日には日本最大の涅槃図(高さ15.1m、幅7.3m)が公開されます。9つの塔頭(即成院・今熊野観音寺など)もそれぞれ特徴ある良い寺院ですから時間のある時はこちらを訪ねるのもいいでしょう(非公開もあり)。

写真は仏殿の軒下

 

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